『沈黙 -サイレンス-』ネタバレ感想と考察 絶対に観るべきマーティン・スコセッシの渾身作!


『沈黙 -サイレンス-』予告編動画

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『沈黙 -サイレンス-』作品情報

2016年アメリカ映画(原題:Silence)。
遠藤周作の小説「沈黙」を、巨匠マーティン・スコセッシが30年の歳月をかけ映画化した歴史ドラマ。キリシタン弾圧が行われていた江戸初期の日本に渡ってきたポルトガル人宣教師の人生を描く。主人公のロドリゴ役に「アメイジング・スパイダーマン」のアンドリュー・ガーフィールド、フェレイラ宣教師に「96時間」のリーアム・ニーソンをはじめ、窪塚洋介、浅野忠信、イッセー尾形、塚本晋也、小松菜奈、加瀬亮らの日本人俳優が脇を固める。

『沈黙 -サイレンス-』あらすじ

江戸幕府によるキリシタン弾圧が激しさを増していた17世紀。長崎で宣教師のフェレイラ(リーアム・ニーソン)が捕まって棄教したとの知らせを受けた彼の弟子ロドリゴ(アンドリュー・ガーフィールド)とガルペ(アダム・ドライヴァー)は、キチジロー(窪塚洋介)の協力で日本に潜入する。その後彼らは、隠れキリシタンと呼ばれる人々と出会い…。

『沈黙 -サイレンス-』感想レビュー

オープニングの風や虫の音が心地いい。映画はオープニングから沈黙を提示する。

まずは、スコセッシの言葉から紹介します。

゛「この原作は日本で読み、すぐ映画にしたいと思いました。しかしどう解釈し、どう作るべきなのか、なかなか自分の答えが見つからなかったのです。当時の宗教観、日本文化への理解も不十分でした。そこから壮大な学びの旅が始まったのです──それは25年にわたる試行錯誤の旅でした。映画は完成しましたが、これで終わりだとは思っていません。今も自分の心の中に掲げ、作品と共に生きているという感覚でいます」”

1988年にマーティン・スコセッシが遠藤周作の「沈黙」に出会って以来、彼はこの企画をずっと温め続け、ようやく実現させました。

『沈黙 -サイレンス-』はまるでスコセッシらしくない、日本をよく知る日本人監督の映画と勘違いするほど、当時の日本人の生活が詳細に描かれていました。本当にスコセッシが撮ったのかと、ビックリするくらい良い意味で期待を裏切られた作品です。

農村の隠れキリシタンたちは汚れていて見すぼらしく、着物もぼろぼろで、当時の日本人たちが確かにそこにいました。

よくこんなに細かく描けたな、と本当に驚嘆します。日本人監督でもこんなに繊細には描けないでしょう。スコセッシは相当に詳細なリサーチをしたと容易に想像できるほど、完璧に当時の長崎を甦らせていました。

日本人で素晴らしかったのは、浅野忠信とイッセー尾形です。特にイッセー尾形は非常にタチの悪い長崎奉行の井上筑後守を見事に演じていました。嫌らしい笑顔の奥に凄みを感じました。

窪塚洋介に関して言えば、何か気負いのようなものが見え隠れした感があります。一生懸命頑張っている感じでした。

キチジローは卑小で、弱い男です。遠藤周作いわく、キチジローは自分がモデルだ、と。人間だれしもが持つ、弱さの象徴のような存在です。難しい役どころだと思います。

『沈黙 -サイレンス-』は、神と信仰がテーマです。しかし宗教観を語る難解な映画では決してなく、すべての人に通じる普遍的なテーマを描いているので映画として十分楽しめる見応えのある作品です。というか素晴らしい作品です。

映画を観た後は、衝撃のゆえ何日間も考えを巡らせるかもしれません。

さて、ここからは映画『沈黙 -サイレンス-』のネタバレを含む解説と考察をしていこうと思います。

『沈黙 -サイレンス-』ネタバレ解説・考察

物語は、主人公ロドリゴの葛藤と魂の叫びを中心に描かれていきます。

ロドリゴは意気揚々と信仰と希望を胸に母国からやってきますが、キリシタン迫害というあまりにも厳しい現実を前に、何が正しいのか、という激しい葛藤に悩み苦しみます。

自分が棄教さえすれば信者たちは殺されないで済むという、自らの信仰か、人々の救いかの究極の選択を迫られます。

彼の呻きと苦しみが、画面を通して、否応なしに伝わってきます。
そして彼はとうとう踏み絵を踏みます。

その時、イエスの声が聞こえました。

「踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生れ、お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ」

「私は沈黙していたのではない。お前たちと共に苦しんでいたのだ」

ロドリゴは踏み絵を踏むことではじめて、神の教えの真の意味を悟りました。

それまでのロドリゴは必死に神にこう祈っていました。この状況を何とかしてほしい、この状況から救い出してほしい。外側に向かって、劇的な状況の変化や奇跡を望んでいました。しかし神は沈黙したままでした。

踏み絵を踏んではじめて、ロドリゴは自分の内にいる神を見つけました。自分と共に苦しんでいた神を。自分と共に十字架につけられたイエスを。神が常に自らと共にあるという神の内在を体感したロドリゴは、信仰の真の意味を知りました。

踏み絵を乗り越え、真の信仰を得たロドリゴに形骸的なもの、司祭職やロザリオはもう必要ありませんでした。

神はいつも共にいる。自分のそばに。自分の内に。
何も語らずとも、彼は死ぬまでずっと信仰を守り続けました。

スコセッシ曰く、゛「踏み絵によって彼の傲慢が突き崩され、その結果、彼は一度空っぽになり、自分は仕える人になるのだと自分を変えた。だから、真のクリスチャンになり得たのです」”

聖書に「人の子は仕えられるためではなく、仕えるために来た(マルコの福音書10章)」とある通りです。

ロドリゴは身をもって、この重要な教えを体感したのでした。
そして、このロドリゴの死と復活こそ、この映画の一番のテーマです。

外国から来てキリスト教を教える宣教師という上から目線のロドリゴは、踏み絵によって粉々に砕かれ(死)、日本人に仕える者として新たに生まれ変わった(復活した)のです。

ですから、映画『沈黙 -サイレンス-』は、福音そのものであるとも言えます。

↓死と復活をテーマにした他の映画はこちら

映画『レヴェナント: 蘇えりし者』ネタバレ感想評価とあらすじを解説。死と復活の意味は?グラスだけの復讐じゃない?では誰の?を考察します!

余談ですが、フェレイラ(沢野忠庵)が実在の人物であるように、ロドリゴにも実在のモデルがいます。「ジュゼッペ・キアラ」というイタリアの宣教師で、日本に潜入して捕らえられ、拷問の末に棄教してからは江戸に住み、岡本三右衛門と名乗り、40年間生きました。まんまロドリゴですね。

マーティン・スコセッシによる渾身作『沈黙 -サイレンス-』は、日本の歴史を知るうえでも絶対に観るべき作品のひとつだと思います。

多くの言葉(説明)よりも、体感してほしいと強くオススメします。

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