怪物の3つの物語の解釈
怪物は3つの物語を語ります。
1つ目は、王妃と王子の物語。
王妃は魔女だが、良いこともした。王子は救世主だが、殺人もした。
解釈としては、人間の二面性を語っていると思われます。
2つ目は、薬剤師と牧師の物語。
欲深いが人々を薬で助けていた薬剤師と、薬剤師の商売の邪魔をする牧師。だが牧師の二人の娘が病にかかってしまい、牧師は薬剤師に助けを求めるが結局娘たちを失う。
解釈としては、人の心の矛盾について語っていると思われます。
「矛盾」である牧師の家を壊したということは、コナンの心にある「矛盾」を壊す行為です。
ここで怪物が信念について語りますが、それは愛のことだと思います。コナーの母への愛。「信念」を「愛」に置き換えれば怪物の言うことが理解できます。
3つ目は、透明人間の男の物語。
誰にも見えない男がいたが、それは人々が彼を見ようとしなかっただけ。誰にも見えないなら自分は実在しているのか?と男は耐えきれなくなった。
解釈としては、単にコナーのことを言っているだけです。
コナーの学校での扱われ方を見れば、「見えない男」を「コナー」に置き換えれば理解できます。コナーは皆から見えないように扱われていて孤独だったけど、いじめっ子だけは自分の存在を確認してくれた。だからジロジロ見つめて、わざといじめられるように仕向けてた。コナーはマゾなのです。そのいじめっ子に、これからはお前を無視すると言われたから怒ったのです。殴ったのは、俺は存在しているんだよ!っていうコナーの心の叫びです。でも殴りすぎ笑。
4つ目の物語
3つの物語は全部コナーに当てはまる話でした。
怪物は何故こんな物語を語ったのでしょう?それはコナーを癒すためです。怪物は「母を癒すためじゃなく、お前を癒すために来た」と言っています。3つの物語はコナーのぐちゃぐちゃした心を整理するためだと思います。
4つ目の物語はコナーが真実を語ることでした。怪物はコナーに真実を話せ!と迫ります。
コナーは叫びます。本当はもう終わりにしたかったんだ!
母が死んで早くこの不安な状態から逃れたかったという本音を語りました。母に助かってほしいという想いと、早く死んでほしいという想い。コナーが蓋をしている心の奥にあるその本音が、悪夢となって現れていたのでした。
これが4つ目の物語。コナーの真実です。
真実を語らせたのは、コナーに母への愛を確信させるためです。
死んでほしいと思う心があるゆえに、自分は母を愛していないんじゃないかとコナーは自分を罰していました(いじめにあう)。でも人間は複雑なので、それもコナーの一部だけど、それは母を愛していることからくるものなんだよ、と。怪物はコナーに優しく諭します。
13歳の少年にとってはあまりにも辛い現実が待ち受けているので、それを乗り越えさすために怪物は来ました。コナーの心を整理し、癒し、現実に立ち向かっていけるように。
誰もが持つ相反する矛盾した心の真実が露わになった時、コナーは不安や恐怖から解放されたのだと思います。そして現実に向かって力強く立つことができました。
怪物の正体は?
怪物の正体はズバリいうと、コナーのおじいちゃんです。
映画の冒頭で祖父の映写機をいじりながら、母はコナーに「おじいちゃんを知ってほしいの」と言っています。決定的なのが、母の部屋の写真にリーアム・ニーソンが娘(コナーの母)を右肩に抱えて写っています。ラストの母が描いた「怪物と少女の絵」の右肩に少女が乗っています。
多分祖父は母が幼い頃に亡くなっていて、怪物として幼い娘の前に、コナーと同じように現れていたのでしょう。母のスケッチブックには怪物の語る物語が描かれていました。怪物の声はリーアム・ニーソンなので、怪物はおじいちゃんです。
以上のようにこの映画はちょっと難解なところがありますが、まとめると『怪物はささやく』で語っているのは「愛」です。これは少年と母の愛の物語。「愛」ゆえに人は苦しむし、「愛」ゆえに人は強くなれる。
『怪物はささやく』は原作本も有名なので、原作を読めばもっとこの作品への理解度が深まると思います。映画と合わせて小説版もご覧になってみてはいかがでしょうか。
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