『ア・ゴースト・ストーリー』予告
作品情報
2017年アメリカ映画(原題:A Ghost Story)。『ムーンライト』などのA24が贈る、幽霊になった男の行く末を描いたファンタジードラマ。
監督・脚本デヴィッド・ロウリー、音楽ダニエル・ハート、出演ケイシー・アフレック、ルーニー・マーラ、ウィル・オールドハム、ケシャ他。
あらすじ
舞台はテキサス州ダラス。田舎の一軒家で幸せに暮らす夫婦だったが、ある日夫が突然の交通事故で亡くなってしまう。しかし妻を心配するあまりゴーストとなった夫は家に戻り、陰から妻をそっと見守るのだった。
感想評価
『ア・ゴースト・ストーリー』は交通事故で死んだ夫がゴーストとなり、残された妻を見守る姿を描いた異色ファンタジーです。決してオバケのQ太郎ではありません。
但し、この映画が本当にファンタジーなのか人間ドラマなのか、はたまた歴史ドラマなのか、どのジャンルに分けていいのか判りません。分類が難しいとても不思議なジャンルの映画です。
そして製作費わずか10万ドルという低予算でありながら、各映画賞を受賞し多くの批評家から絶賛された評価の高い作品です。
監督はデヴィッド・ロウリー。主演のケイシー・アフレックとルーニー・マーラとは『セインツ 約束の果て』でもタッグを組んでいます。
本作の撮影はまず初めに極秘裏に行われました。ケイシー・アフレックとルーニー・マーラは詳細を知らないまま撮影に参加し、監督と一緒に試行錯誤しながらカメラを回し始めたそうです。
というのも、監督自身もこの映画がどう転ぶのかまだはっきりと分かっていない、企画ありきでスタートした作品でした。
なので、シーツを被ったオバQのようなゴーストが生まれるまで相当苦労したようです。ただ俳優にシーツを被せるってわけにもいきませんからね。
そんな試行錯誤のすえ生まれたゴーストは、なんだか可愛らしくて、気まぐれで、でもちょっと不気味で、スゴくいい味を出しています。加えて感情移入も出来ちゃうのだから、ゴーストとしての完成度は素晴らしいと思いました。
ちなみにゴーストは『千と千尋の神隠し』のカオナシからもインスピレーションを受けていますよ。
それにしても本作は、オスカー俳優ケイシー・アフレックを随分贅沢に使っています。ほとんどシーツの中でぼーっと立っているという笑。実際にケイシーがシーツを被って演じているので、安心してくださいね笑。
映画の特徴として、画面サイズはほぼ正方形のアスペクト比を採用。鑑賞していて何かちょっと狭い印象を受けませんでしたか?これは視野を狭くしてよりパーソナルな視点であることを強調しています。
ロウリー監督曰く、ノスタルジックな雰囲気も伝わりやすい画面比だそう。確かに、幽霊の抱くノスタルジーが画面からビンビンに伝わってきました。
映画の冒頭で、夫を亡くした妻がひたすら何かを食べている長回しのシーンがありますが、あれはビーガン用のチョコレートパイを食べています。ルーニー・マーラ曰く、とってもまずかったそうです笑。
そんな『ア・ゴースト・ストーリー』の感想ですが、こういうゆったりとした詩的な映画はすごく好みです。面白かったし音楽も良かった。最後までその世界観を堪能できました。
何も語らないゴーストなのに、その哀愁と孤独がとても抒情的に伝わってきたのは凄いと思いました。特に、時間の長短を巧みに用いて二人の心情を表現したのは素敵です。
個人的には、この映画はテレンス・マリックだなと思いました。
ロウリー監督は『ブンミおじさんの森』で知られるタイの映画監督アピチャッポン・ウィーラセタクンから影響を受けていると語っていますが、どう見てもテレンス・マリック映画です。
時間軸が急にポンッと飛ぶとこなんかまんま『ニュー・ワールド』だし、田舎の静かでゆっくりとした美しい風景はマリック作品全体に見られます。
まあなんにせよ、詩的で美しく、心にしんみりと暖かい余韻を残す良作だと思います。
さて、『ア・ゴースト・ストーリー』はほとんどセリフもなく、何だかよく分からない解釈の難しい映画だと思いますので、ここからは本作が一体何を伝えた映画なのかを解説・考察(ネタバレ)していきたいと思います。
これであなたも『ア・ゴースト・ストーリー』を完全に理解して、したり顔で友達に解説できますよ笑!
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ネタバレ解説
CとM
「いつ目覚めても、ドアが閉まる音がする」
映画はヴァージニア・ウルフの短編小説「幽霊屋敷(ホーンテッドハウス)」の一文から始まります。ロウリー監督はこの小説から『ア・ゴースト・ストーリー』の着想を得ました。
劇中でメモを必死に探すCのように、小説では宝物を探す幽霊のカップルが出てきます。
主人公夫妻の名前はC(ケイシー・アフレック)とM(ルーニー・マーラ)。
ちゃんとした名前じゃないのは面白いですね。記号みたいです。もちろん記号にしたのは意味があります。
CとMは家のことでちょっと揉めていましたが、幸せな日々を送っていました。
この夫婦の家を巡る確執は、ロウリー監督が奥さんと引越しのことで大ゲンカした経験を元にしています。またCは監督自身に似ており、Mは監督の奥さんに似ているということなので、本作はデヴィッド・ロウリーの個人的な経験と考えが反映された映画であることが分かります。
映画では、Cが突然の交通事故で急死して、シーツを被ったゴーストとなりました。
病院で起き上がったCが院内をうろついていると、光の壁が現れました。しかしCはそこに入ろうとしませんでした。なぜなら妻への未練があったからです。光の壁は成仏的なものを表しています。
なぜ天国じゃなく成仏かというと、監督は公言している通り無神論者なので、天国という表現は彼の映画ではふさわしくないと思いました。
そして、妻を心配するCは家に帰ります。
妻の引っ越し
Cが家に帰ると妻も戻ってきて、ひたすらパイを食べるシーンが挿入されます。
なぜ長回しのこのシーンを入れたかというと、Mの痛みや悲しみを時間で表現したからです。
本作では「時間」がとても重要な意味を持ちます。
悲しみを胸に秘めながらも忙しく日々を過ごすMと、そっと見守るC。
しかし時が経つにつれ、Mの心に徐々に変化が訪れます。長らく洗わなかった夫の温もりを残したシーツを変え、前に進もうと決心します。
このあたりで出てくる隣人のゴーストはロウリー監督が演じています。
さらに時は流れ、新しい恋人も出来て、いよいよ新しい人生を歩もうとする妻は、夫の作った曲(「I Get Overwhelmed」Dark Rooms)を聴き、想い出に浸りつつも引っ越しを決意します。
そして、紙切れに何かを書いて家の柱の隙間に隠し、家を出ていきます。
一方、Cはなぜか妻の後を追わず家に残ります。
妻の残したメモが気になったCは、柱から紙切れを取り出そうと頑張ります。
歴史は流れる
残されたCの家では、ヒスパニックの家族が新しく引っ越してきました。
しばらく家族と共に住んでいたCですが、家族に出て行って欲しいのでしょうか、嫌がらせを始めます。
ポルターガイスト現象を引き起こし、ついには家族を家から追い出してしまいます。ここで、妻との想い出の家に執着するCの心情が伺えます。
次に越してきたのは、パーティーをするグループでした。
パーティ中、ある男(預言者)が長い独白をします。ベートーベンの第九を引き合いに出し、人間は生きた証を残したがることや、すべて物事には結局終わりが来るので、すべては虚しいということを熱弁します。
映画で唯一の長セリフのこの場面は、映画を読み解くうえで非常に重要なシーンです。
そんなパーティーピープルも消え、とうとう家さえも取り壊される時が来ます。
それでもCはその場所にとどまり続けます。新しいビルが建ち、街も未来的な雰囲気になっていきます。
Cが近未来的なビルの端に立ち、そこから落っこちると、辿り着いた先は過去(開拓時代)でした。
ラスト結末
開拓時代に生きるある家族は、その場所に家を建てようとしていました。そこで少女が歌っていた鼻歌は、Cが作った曲でした。
さらに時が経ち、Cがふと目を上げると、過去の自分たちが引っ越してきました。
ゴーストCは、生きている自分を目前にします。そして、その家での夫婦の歴史が繰り返されていきます。
その後、再び亡くなりゴーストとなった自分を、Cは見つめていました。
Mが家から引っ越すとき、Cはふと柱のメモを思い出します。
一度は失くし諦めたメモを、とうとう柱の割れ目から見つけ出しました。
そして、ついにそのメモを開いた瞬間、何処かへ飛び立つようにCは消えてなくなりました。
キラキラと煌めく光が部屋に現れ、物語は幕を閉じます。
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映画は何を表現しているのか?
さて、ざっとストーリーを追ってきましたが、一体この映画は何を表しているのでしょう?何を伝えたかったと思いますか?単に地縛霊が思いを遂げて成仏し、めでたしめでたしの映画でしょうか。
これは詩的な映画なので、本来解釈は観客それぞれに委ねられています。なので解釈は、それぞれが感じたことや思ったことが正解です。
でも、それでも知りたい!という欲張りなあなたの為に少し解説します笑。
結論から言うと、『ア・ゴースト・ストーリー』は実存主義の映画です。
もっと厳密に言うと、実存主義に形而上学の多次元論が絡んでいるのですが、難しいので形而上学の説明は省きます。
実存主義とは哲学用語です。「実存」とは「現実存在」の略です。
簡単に説明すると、例えば「わたしは映画監督だ」と言う時、一般社会では「映画監督」に価値を置きます。「わたしは映画監督だから価値がある」と。
一方、実存主義では「わたし」に価値を置きます。「わたし」の存在そのもの、「わたしがわたしである」ことがスゴイ!となります。
なので映画では主人公の名前をCとMにしました。これは実存主義を表しています。
つまりCとMという記号にすることによって、その存在自体に価値を置いています。よって本当は名無しでも良いのです。
また、メモや音楽や独白などはすべて「存在」の価値について示唆しています。特にパーティーの男の独白は「実存」を強く意識した語りでした。
男は「存在は結局すべて消えるので虚しく無意味だ」という結論でしたが、映画ではそれに反論する形で、「存在」は時空を超えて何かしらの形で残るという結論になっています。
ゴーストCが現在過去未来を超えて存在しているのも、それが理由です。
つまり、監督はここに希望を置いているのです。「わたし」が存在したという事実は消えないだけでなく、「存在」は何かしらの形で残るので意味がないなんて事はない!と。
メモの内容は何?
妻の残したメモに一体何が書かれていたのでしょうか?気になった方も多いかもしれませんが、その内容を探ることにあまり意味はありません。
ちなみに、このメモを書いたルーニー・マーラはどんな内容を書いたか忘れてしまったそうです笑。
重要なのは内容ではなくメモ自体です。
ヴァージニア・ウルフの小説の幽霊カップルが宝物を探していたように、「メモ」の存在自体が夫婦にとっての宝物です。
なのでCはその宝物に執着し、必死に掘り出そうとしていました。
では、二人にとっての宝物とは何でしょうか?
はい、それはもちろん「愛」です。メモは二人の愛の証です。二人の愛が存在した証。だからメモの内容なんて何でもいいのです。
ゴーストは二人の愛を探していました。
愛を見つけることによって、自分たちの存在の永遠性が担保されます。なぜならヴァージニア・ウルフも指摘する通り、愛は永遠だからです。
なのでCがメモを開いた(=愛を見つけた)途端、彼は消えたのです。
愛は永遠なのだから、二人の愛が見つかったということは、その存在が永遠になったことを意味します。それがCが消えた理由です。愛という永遠の中に取り込まれました。
監督の意図としては、劇中で宇宙を何度も映していたので、宇宙の一部になったことを表したかったと思います。
さて結論として、「存在」が永遠になったという事は何を意味しますか?
はいそれは、「存在」にはものすごおおおおおい価値がある、ことを意味します。
つまり、「わたし(あなた)」はものすごおおおおおい価値のある存在なのです!
まとめ
『ア・ゴースト・ストーリー』はセリフに頼らず、映像で映画の意図を上手に語った、本当に良くできた作品だと思います。
試行錯誤で始まった割には、劇中のすべての物事が繊細に配置されていて、とても驚きました。
最初から最後まで注意深く観れば、ほとんどの物事やセリフに意味を含んでいるのが分かると思います。
ゴーストはラストで「愛という永遠の中に取り込まれた」と書きましたが、無神論者であるはずの監督が、そういうラストに導かれてしまったということは、本当に皮肉でしかありません笑。
以上、死んでもなお愛を探し続けた男が、時空を超えてようやく愛を見つけた物語『ア・ゴースト・ストーリー』でした!
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