『クワイエット・プレイス』予告
作品情報
2018年アメリカ映画(原題:A Quiet Place)。無音の世界で暮らす家族のサバイバルを描いたサスペンスホラー映画。
監督・脚本・出演ジョン・クラシンスキー、脚本ブライアン・ウッズ、スコット・ベック。出演エミリー・ブラント、ミリセント・シモンズ、ノア・ジュープ他。
感想評価
『クワイエット・プレイス』は無音の世界を舞台に、何かに襲われる家族の恐怖を描いたホラー映画です。劇中ではセリフが極端に少なく、ほぼ手話で会話が行われるという異色作品。
そんな設定と「ポップコーンを食べられない映画」という表現が話題を呼び、全世界で約3億4千万ドルの興行収入を稼ぐ大ヒットとなり、すでに続編の製作も決まっています。
監督は俳優でもあるジョン・クラシンスキー。過去に二本のコメディ映画を監督しており、ホラー映画は今回が初めて。ブライアン・ウッズとスコット・ベックの脚本をリライトし、自身で監督と出演も兼ねました。ちなみに数カットはモンスターも演じています。
家族を守る父親を演じて、それを襲うモンスターも演じてたのかいっ!ってちょっと笑っちゃいますよね。
クラシンスキーは本作で共演した妻である売れっ子女優のエミリー・ブラントに比べ無名でしたが、本作の大ヒットを機に一気にスターダムにのし上がりました。
本作は批評家からの評価も高く「Rotten Tomatoes」では95%フレッシュの高評価となっています。
『クワイエット・プレイス』は音を立てたら即死の世界です。静寂がとても重要です。なのでクルー達は撮影の間、なるべく余計な音を立てないように細心の注意を払いました。
また、聴覚障害を持つ娘リーガン役(ミリセント・シモンズ)に本物のろう者の役者さんを使うという腰の入れよう。リーガン視点のシーンは全部無音になっており、音へのこだわりが本作を支えるものとなっています。
主人公一家の苗字のアボットですが、これはカトリックの修道院のリーダーを指す言葉です。農業による自給自足や、静寂な生活、裸足で暮らすなど、修道院で見られる要素が映画に反映されています。
そんな『クワイエット・プレイス』の感想ですが、うーむ。。。イマイチな映画でした。
「音を立てたらいけない」というアイデアだけで最後までなんとか繋いだ作品で、物語的な面白さも恐さもありませんでした。
自分の中でホラー映画はドキドキさえさせてくれたらそれで良いという、かなりハードル低めな評価ですが、残念ながら本作ではドキドキもあまり出来ませんでした。
その問題は何かを考えた結果、構成に問題があると感じました。音を立てたらいけない割には、劇中の家族は結構音を立てていて、怪物が襲ってくる設定音の軸がブレブレです。その映画的なご都合主義のせいで、怪物の不気味さ、恐さが半減しています。
「オイオイ、こんな小さな音でも襲ってくるのか、ぱねーな怪物!」ってくらい設定をきつめにすれば、もっとドキドキして面白かったんじゃないでしょうか。その辺のこだわりは雑でしたね。
家族の話も、絆とかそっちの方向に持っていくのが見え見えで、予想通りの展開で逆にビックリしました。
無音からの大きな音。その音のコントラストが本作の肝です。それだけのために存在してる映画です笑。なので、その魅力を存分に楽しむには映画館が最も効果を発揮する作品だと思います。
そういうことで、ここからは『クワイエット・プレイス』のあらすじを結末まで疑問点の解説を交えながら、怪物の正体も考察していきたいと思います。
※ここからネタバレとなります。
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ネタバレあらすじ
静寂の世界
音に反応して襲ってくる謎の生物の襲来により、世界は荒廃し人類は絶滅の危機に瀕していた。
そんな音の無い世界で生きるアボット一家は、会話は手話で行い、砂の上を裸足で歩く、音を立てない生活に苦労していた。
ある日、一家がスーパーで食料を調達した帰り道、末っ子のビューがおもちゃの飛行機を使って大きな音を立ててしまい、怪物に襲われてしまう悲劇が起こる。
それから1年後。末っ子を失った悲しみを胸に秘めながら、父のリー(ジョン・クラシンスキー)は怪物を研究し、母のイヴリン(エミリー・ブラント)は新たな生命をお腹に宿すなど、アボット家4人は懸命に生きていた。
ちなみに玄関や部屋など、アボット家の扉は常に開けっぱなしなのに気づきましたか?もちろんドアの音を立てないようにする為です。
また、一家以外の人類はどこにいるの?という疑問ですが、リーが火を灯した際、遠くの民家でも灯していたので、他の人々もひっそり暮らしていたと考えられます。
473日目。リーは耳の不自由な長女リーガン(ミリセント・シモンズ)のため手作りの補聴器を渡すが、リーガンは嫌がって受け取らない。
彼女はビューを失ったのは自分の責任だと感じていた。そのことから家族からの疎外感を感じていた。
その後、リーは息子のマーカス(ノア・ジュープ)を連れ、川へと出発した。リーガンは自分も行きたいと願ったが、父に拒否されたので、いじけて何処かへひとりで旅立つ。
リーガンの行先はビューが襲われた場所だった。彼女は想い出の飛行機を墓に添えた。
なぜ父が娘の同行を拒否したかというと、母親が出産間近のためお守りをしてもらいたいのと、リーガンには滝の音が聞こえないので、危険を冒してまで連れていく必要がなかったからです。
一方リーとマーカスは釣りをし、滝の傍らで、久しぶりに普通の声で会話を交わす。自然音より小さな音であれば、怪物に気づかれない事を父は息子に教えた。
帰宅途中、二人はある老人と出会うが、その老人は妻を亡くしたことから自暴自棄になり、わざと大声を上げ怪物に襲われるのだった。
この老人の行動が、ラストの父親の行動の伏線となっています。
出産
その頃、家では妊娠中のイヴリンの出産が間近に迫っていた。しかし階段を降りる際、釘を踏んで悲鳴を上げたことにより、怪物が家の中に侵入してしまう。
リー達が帰宅すると、家の周りの赤電灯が点いていた。赤は危険を告げるサイン。
リーは用意していた花火を打ち上げて、怪物を家の外に誘き寄せる作戦を立てる。
いよいよ赤ん坊が生まれるまさにその時、外で花火が大きな音を立てて上がった。
リーが家に入ると、イヴリンが無事に赤ん坊を抱いて横たわっていた。
リーはイヴリンと赤ん坊を安全な地下室に運び一安心するが、家の外ではリーガンとマーカスに危険が迫っていた。
ラスト結末
リーガンとマーカスはサイロ(穀物貯蔵庫)に昇り、火を焚いて、父の助けを待っていた。
しかし火が消えてしまったため、リーは彼女らの場所が分からずにいた。
その時、マーカスが過って貯蔵庫の下に落ちてしまう。その音を聞き分け、怪物が迫る。
トウモロコシの渦に飲み込まれそうになり、足掻くふたりの元に怪物が現れるが、リーガンの補聴器の音を嫌がり、怪物はその場を去った。
それから二人は無事に父と再会したが、今度はそこへ怪物が現れ、リーは殴り飛ばされる。次に怪物は車の中に隠れるリーガンとマーカスに襲い掛かった。
その時、リーは子供達を助けるため、大声で叫んだ。そしてリーは怪物に殺されてしまう。
父の犠牲により、二人は難を逃れ母の元へ戻る。
みんなで地下室に隠れ息をひそめるが、そこへ再び怪物が現れる。
しかし怪物の弱点に気づいたリーガンは、補聴器をマイクに近づけ音量を目いっぱいに上げた。
キーンという補聴器の音に怪物が弱ったところで、イヴリンが怪物の頭を銃で吹き飛ばした。
監視カメラを見ると、銃の音を聞いた多くの怪物が外に集まっていた。
だが、怪物の弱点を知ったイヴリンは勝利を確信し、ショットガンを手に笑みを浮かべるのだった。終わり。
怪物の正体は?
さて、音に反応するあの気持ち悪いクリーチャーの正体は何なのでしょう。劇中ではまるで説明がありません。
怪物の特徴を挙げると、
1.目が見えない。
2.聴覚が超敏感。
3.鎧のような皮膚で、両手が鎌。
といった具合になります。
怪物は聴覚が超敏感のせいで、補聴器が発する神経インパルスの振動が、弱点となりました。
リーガンの補聴器は人口内耳のような、聴神経を電気的に刺激する特殊なやつです。だから、父は試行錯誤を重ねていました。失敗作が地下室に沢山ありましたね。
つまり、怪物の耳にバシバシと電気信号を送ってやったので、聴神経の塊のような耳はその刺激を何千倍にも感じ、耐えられなかったということです。
そして怪物の正体ですが、地下室にあった新聞記事にヒントが転がっています。記事のひとつに「メキシコに隕石が落ちた」という見出しがあったので、隕石と共に宇宙から来た生物だと推測できます。
ということで怪物の正体は、エイリアンです。
また暗喩的には、言論封殺する支配者を意味します。
まとめ
『クワイエット・プレイス』の夫婦は何故あんな環境で赤ちゃんを作ったんだ!とツッコまれた方も多いんじゃないでしょうか。
出産シーンは物語のクライマックスですよね。なのでストーリーを盛り上げるため妊娠という設定にした部分はあります。
でもそれだけではなく、監督の意図としては絶望的な状況だからこそ敢えて、新しい命を育み次世代へつなぐという希望を夫婦に選択させたのだと思います。
絶望的な状況におびえ、ただ死を待っているんじゃ意味がないですよね。
どんなに絶望的に見えても、希望は必ずある!なければ自分達で作る!ということを夫婦は実践してみせました。
父親の最後の叫びは、人々が声を上げれない世界、抑圧された社会への精一杯の主張だったような気がします。
以上、沈黙と静寂のうちに灯るかすかな光を描いた映画『クワイエット・プレイス』でした!