『25時』ネタバレ感想評価と考察 スパイク・リーの最高傑作!


『25時』予告編動画

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『25時』作品情報

2002年アメリカ映画。(原題:25th Hour)
作家デイヴィッド・ベニオフの小説『25時』を「ドゥ・ザ・ライト・シング」のスパイク・リー監督が映像化したヒューマンドラマ。ベニオフ自ら脚本を担当。25時間後に懲役7年の刑で収監されることが決まっているひとりの男が、後悔と絶望感を抱え過ごす24時間の心の旅を情感を込め繊細に綴る。主演は「アメリカン・ヒストリーX」「ファイト・クラブ」のエドワード・ノートン。共演はフィリップ・シーモア・ホフマン、バリー・ペッパー、ロザリオ・ドーソン、ブライアン・コックスなど。

『25時』あらすじ

ニューヨーク。かつて瀕死の状態から助けた犬と共に公園のベンチに佇む男モンティ・ブローガン。ドラッグ・ディーラーだった彼は、何者かの密告で麻薬捜査局に逮捕され、保釈中の身だった。そして、25時間後には7年の服役のために収監される。彼は、馴染みの店で最後の夜を明かそうと2人の親友、高校教師のジェイコブと株式ブローカーのフランクに声を掛ける。また、アパートでは恋人ナチュレルが待っていたが、モンティは彼女が密告者ではないかと疑っていた。やりきれない思いを抱えたまま、モンティのシャバでの最後の夜が始まろうとしていた・・・。

『25時』感想評価

※ネタバレを含む感想評価、考察になっております。

『25時』を知らない人は是非見ておいたほうがいいでしょう。この映画はたくさんの人に観てもらいたい映画です。スパイク・リーの最高傑作と言っても過言ではありません。

隠れた名作です。いや別に隠れてはいないんですが、有名映画なんですけどね。地味なのでそう感じてしまうのかも。興業的にも成功している映画です。

明日刑務所に収監される男の最後の24時間を描いた話なんですが、たったそれだけなのに、この映画には大変な魅力があるのです。

『25時』は感想を言葉で表現するのはなかなか難しい深い映画です。もう一度言いますが、深いです。観終わった後しばらく、色んなことを考えさせられてしまう映画なのです。スパイクリーの演出が素晴らしいからでしょうか。たぶん10回くらい観ていると思います。

グラウンドゼロ。911直後のニューヨークの風景と心情、もの悲しさも交えています。911後のニューヨーク及びアメリカと真正面から向き合いたかったスパイク・リーは、グラウンド・ゼロを意図的に映画に組み込んでいます。

俳優たちも素晴らしい。3人の親友役エドワード・ノートン、バリー・ペッパー、フィリップ・シーモア・ホフマン。みんな好きです。圧倒的な演技力に引き込まれてしまいます。

フィリップ・シーモア・ホフマンはこの映画で飛躍的に有名になったんじゃないかな。冴えない高校の教師役なんですが、演技がうますぎますね。他の俳優を食っています。

あのおどおどした表情、いつもフランクに馬鹿にされているとこ、ヤンキースの野球帽を斜めにかぶり服装もださいアメリカ人特有の雰囲気。抜群です笑。スパイク・リーもDVD特典の副音声のなかで、彼を絶賛していました。今となっては、彼の演技が見れないのは本当に残念で仕方がありません。

エドワード・ノートンは言わずもがな。悲哀な男モンティがこの人ほど似合う俳優はいません。バリー・ペッパーもカッコ良い。ちょっとプライドの高い嫌な奴なんですけどねフランクは。でも本当はかなりの親友想いっていうさじ加減を見事に演じています。

あとこの映画で忘れてはならないのは、モンティの父親役のブライアン・コックスですね。

息子に随分経済的に援助してもらって、だから息子が犯罪に手を染めるのに何も言えなかったという情けない父親なんですが、モンティへ誰よりも深い愛情を抱いている。情けなさプラス深い愛情を持つ父親の悲哀が、ブライアン・コックスによって引き立っています。素晴らしい演技力だと思います。



『25時』ネタバレ考察

モンティはアメリカの象徴?

『25時』は、モンティをアメリカの象徴と考えれば、たしかに納得のいく映画です。

同時多発テロ後のアメリカを、モンティの人生と照らし合わせると、不思議に両者の共通点が見つかるのです。両者とも深い傷を負っていること。そしてモンティの犯罪を周りが見過ごしていたように、アメリカの犯罪もまた見過ごされてきたこと。スパイク・リーは意図的に、モンティとアメリカを重ね合わせて表現した気がします。

そのようなメタファーを無視したとしても、やっぱりこの映画は素晴らしい出来です。

何故ならこの映画は、観る人によって180度違うような多様な視点で捉えることが出来る映画だからです。また観る年齢によっても、色々な捉え方が出来る映画です。

残された時間

モンティに残された時間は24時間。明日には刑務所にいかなければなりません。

逃亡するか、自殺するか、収監されるか。選択肢は3つ。収監されたら必ずカマを掘られると信じているモンティには絶望しかありません。

モンティは自分の人生を振り返ります。どこで間違ってしまったのか。

そして、父親に、親友に、恋人に、NYの街に、人々に悪態をつきます。そのような恨みも空しく響くだけ。結局彼自身がいちばん、自業自得だということを知っているのです。

それぞれの人間心理

そしてモンティの周りの人間たち、父親も、ジェイコブも、フランクも、ナチュレルもまた、それぞれが自分を責めているのです。モンティの犯罪を止めれなかった事、見て見ぬふりをしていたこと、経済的な恵みに乗っかっていたこと、モンティに対するやっかみ。

後悔の念や自責の念、それぞれの抱く複雑な感情が、モンティを通し炙り出されていきます。その人間心理の暴露こそ、この映画の最大の魅力だと思います。しかし映画は淡々と最後の夜を描くだけで、いちいち説明はしてくれません。

こういった表現しようのない、人間の何とも言えない複雑な感情が画面に渦巻いているので、映画を観終わった後、心を整理するためにぼーっと考えてしまうのかもしれません。

モンティとドイル

そして終始ずっと泣き言をいってるモンティですが、実は彼の気持ちは始めから決まっています。

オープニングで犬(ドイル)を助けるシーン。このシーンがモンティという人間の信条を表しています。

瀕死の犬が、助けようとしたモンティを噛もうとする。モンティは根性のあるやつだと言ってこの犬を気に入ります。瀕死の重傷であるにもかかわらず、必死に生きようとしているドイルを見て、モンティは心打たれました。

これはモンティ自身の姿を暗示しています。モンティは刑務所で何があっても、生きることを決意したのです。

ラストの夢

ですからラストの夢物語は、本当に夢想であって、モンティの悲壮な決意の顔で物語は幕を閉じます。

これを哀しい物語と捉えるのか、それとも必死に生きようとする男の再起の物語と捉えるのか。私は断然、後者を押したいと思います。

映画『25時』は、NYに住むそれぞれの立場の人間の、それぞれの人生、葛藤、悩みが集約されて見事に描き出された傑作であり、スパイク・リーの才能が光る至極の一作です。

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