『愛、アムール』ネタバレ解説と感想 ラストの意味は?


『愛、アムール』予告編動画

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『愛、アムール』作品情報

2012年フランス/オーストリア/ドイツ映画(原題:Amour)。
ミヒャエル・ハネケ脚本・監督による老夫婦の介護の姿を描いた人間ドラマ。2012年カンヌ国際映画祭パルムドール、アカデミー外国語映画賞受賞(2012)。出演ジャン=ルイ・トランティニャン、エマニュエル・リヴァ、イザベル・ユペール。

『愛、アムール』あらすじ

パリのアパルトマンに住む元音楽家の老夫婦ジョルジュ(ジャン=ルイ・トランティニャン)とアンヌ(エマニュエル・リヴァ)は、引退後も二人で仲良く暮らしていた。娘のエヴァ(イザベル・ユペール)も音楽家としてイギリスで忙しい日々を送る。そんなある日、アンヌが脳梗塞を患ったことから、夫ジョルジュの献身的な介護が始まっていくが…。

『愛、アムール』感想評価

『愛、アムール』はオーストリアの奇才ミヒャエル・ハネケ監督が、老夫婦の介護を通して愛の姿を描いたヒューマンドラマです。各国で数々の賞を受賞した世界的にも高評価の作品であり、ミヒャエル・ハネケは本作で2年連続のパルムドールを受賞しています。

ちなみに「アムール(愛)」というタイトル、ハネケ監督が皮肉で付けたのかなと思ったのですが、ジャン=ルイ・トランティニャンがこのタイトルにしないかと監督に提言したそうです。また本作は、ハネケの叔母の病床体験から着想を得ています。

そんな絶賛された『愛、アムール』の感想ですが、高評価も頷けるスゴい作品です。観賞後、心にズッシリと深い余韻を残すことと思います。

ハネケ作品は、挑戦的な内容で人間の心の闇を鋭く抉り取る作風が特徴で、後味の悪い作品ばかりですが、本作には嫌な余韻というのはありませんのでご安心ください。

エゴと愛の間で葛藤する孤独な人間心理を、淡々とした映像ながら、巧みに描き出しています。ハネケは常に、誰にでも起こり得ることを描きます。日常に潜む狂気や不条理。その描写が上手です。

『愛、アムール』では冒頭からいきなりネタバレで始まります。オープニングにそのシーンを持ってくることで、観客はどうしてこうなったのか?と物語に否応なしに引き込まれていく。

まだ観ていない人は、老人の映画かあ退屈そうだな~と思って観たら痛い目を見ます。たしかに前半は、ワンショットの長回しが多く退屈するかもしれませんが我慢してください。どんどん面白くなっていきますよ。

また、主演のジャン=ルイ・トランティニャンとエマニュエル・リヴァの演技が本当に素晴らしい。ジャン=ルイ・トランティニャンは言わずもがな、ヌーベルヴァーグ時代から活躍するフランス映画界の重鎮です。外界から孤立した老人の孤独を背中で語り、妻への愛を黙々と行動で語る。その哀愁が非常に愛おしかった。

娘役はハネケの『ピアニスト』でも音楽家を演じたイザベル・ユペール。『エル ELLE』でも素晴らしい演技を見せているフランスを代表する大女優です。

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果たしてそこにあるのは愛なのか?鳩は何を意味するのか?ここからは映画『愛、アムール』の解説と疑問点の考察をしていこうと思います。

※ネタバレを含むので観賞後にご覧ください。



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ネタバレ解説と考察

映画が描くもの

映画は淡々と、主人公老夫婦の介護の様子を描きます。

ジョルジュとアンヌは共に音楽家の老夫婦。娘も音楽家で、弟子のコンサートに行ったり幸せな日々を送っていました。そこに突如、悲劇が襲います。アンヌは脳梗塞となり、手術も失敗して右半身が麻痺。不自由な生活を余儀なくされます。

ピアノ教師で誇り高いアンヌは入院を拒否します。まして他人に身体を拭いてもらったり、排泄の世話をしてもらうなんて耐えられない。屈辱よりも彼女は死を望みました。終わりにしたいとジョルジュに頼みます。彼女が生きる気力を失うのと呼応するように、症状はどんどん悪化していきます。

アンヌは言う「かくも長く、素晴らしい人生」。それはまるで「人生は素晴らしかった、もう十分よ」と聞こえます。

一方、ジョルジュはそんな妻をよそに献身的に介護していく。粗雑な看護婦も辞めさせ、たったひとりで。

この映画のラストを介護疲れと捉える人もいますが、それは違います。ジョルジュにとって介護ははっきり言って苦ではなかったと思います。セリフでも言っています。

長年連れ添った愛する妻の介護だし、ジョルジュもそれに生き甲斐を感じていたに違いありません。だから妻が水を拒否したら、殴ったりしたのです。水を飲まなければ病院に行って点滴を打つぞとまで言っています。

ジョルジュにとっては死なれたら困るんです。生き甲斐だから。それは言い換えればジョルジュのエゴです。でも妻は死を望んでいる。ジョルジュの真の苦しみは、介護疲れではなく、エゴと愛の間で揺れる葛藤です。

ジョルジュは自分の想いを取るか、妻の想いを取るかでずっと葛藤していました。

勿論、妻が我を忘れていく姿は辛いですが、ジョルジュにとっては生きてさえいてくれれば、自分が傍で面倒を見れます。本当はずっとそうしていたかった。

でもアンヌへの安楽死を実行する前のシーンで、アンヌがひと時自分を取り戻し会話して手を握ります。その時ジョルジュは、「妻の想い」を思い出したんです。ピアノ教師で気高かった妻。その妻の願い通りにしようと決めたのです。

ここに愛があります。

自分の想い(エゴ)ではなく、妻の想い(愛)を選択したのです。その選択はジョルジュ自身の死(犠牲)も付いてきます。

だから『愛、アムール』なのです。

決して介護で苦しいから、辛いからじゃないんですね。それじゃあただの殺人なんで。妻が辛くても生きたいと願っていたら、ジョルジュは最後まで面倒を見たでしょう。

水が象徴するもの

『愛、アムール』では水のシーンが象徴的に描かれます。水は「命」を象徴しています。初めの蛇口の水が出っ放しのシーンで、意識の戻ったアンヌが水を止めました。

それは今後の二人の姿を暗示しているかのようです。つまりジョルジュは水を出しっぱなしにした=アンヌの命を止めたくない。アンヌは止めた=人生を終わりにしたいと思っている。

夢が暗示するもの

まだアンヌの症状がそんなに悪く無い頃、ジョルジュは夢をみます。それは水浸しの廊下で口を塞がれる夢。

夢が暗示するのは、将来への不安と恐れです。今後の介護生活はジョルジュの息を止めてしまうくらい苦しいものだという表れです。



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鳩は何を象徴する?

鳩は一般的に「平和」のシンボルですよね。『愛、アムール』でも平和の象徴であることに違いないのですが、分かり易く言うとこの映画での鳩は「安楽死」を象徴します。なぜなら映画ではアンヌの安楽死が「平和」をもたらすからです。

1回目の鳩のシーンで、ジョルジュは窓からハトを追い払いました。妻は寝たきりで会話もまともにできない状態になった時。でもまだ「安楽死」のことは考えていなかった。冗談じゃないよって感じで。

2回目の鳩のシーンでは、捕まえて毛布で包み、優しく撫でていました。まるで、もう逃がさないぞと言うように。「安楽死」を受け入れたってことになります。実際にアンヌに手をかけたシーンの後です。

また、愛を掴んだってことでも良いと思います。ラストは本当に平和で穏やかな時が流れ、二人はピース(安らぎ)を得ました。鳩がうんぬんという手紙は娘宛の遺書だと思います。

「信じられないかもしれないが、鳩が二回も来た」と書いたのは、「平和・安らぎ」が二回も来たのでジョルジュにとっては大変驚きだったから、そう書いたのです。

ラストの解釈

結末でジョルジュは夢なのか幻想なのかを見ます。起きるとキッチンにはアンヌが皿洗いをしていました。

オープニングで消防が部屋に入ると、アンヌだけが横たわっていたので、ジョルジュは行方不明になったと思うかもしれません。でも消防が来たのは多分、死臭じゃなくガスの匂いのためです。アンヌの部屋はテープで密封したので匂いは漏れないと思います。アンヌの部屋の窓も開けていたし。消防が来たこと自体、ガスであることを表しています。

ジョルジュがラストの幻想シーンで横たわっていたのは、キッチンの隣の部屋です。キッチンは玄関を入って右奥なんですね。オープニングではアンヌの部屋を含む左側しか映していません。キッチンを映さなかったのは意図的です。

つまりジョルジュは右側のキッチンの隣の部屋でガスで…と推測できます。

なので最後のジョルジュの幻想的なシーンが意味するものは、普通に仲良く旅立ったということですね。

以上、人生最後の時に輝いた愛を描いた映画が『愛、アムール』でした。それは長年連れ添った夫婦にしか分からない愛。誰も入ることが出来ない二人の強い絆。

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